研究活動
海外報告
第6回世界社会的連帯経済フォーラム(GSEF)ダカール大会参加報告【鈴木 岳】
■海外出張の目的
第6回GSEFダカール大会参加
■日程・訪問地
2023年5月3日~7日 セネガル・ダカール
報告
2013年にソウル(韓国)でプレ・フォーラムが開催されたGSEF(世界社会的連帯経済フォーラム)は、以後2014年ソウル、2016年モントリオール(カナダ)、2018年ビルバオ(スペイン)、2021年メキシコシティ(2020年の予定が延期、オンライン主開催)と5回開催されてきた。そして今回2023年の第6回開催都市はダカール(セネガル)で、5月1~6日の実開催となった。今回のテーマは「社会的連帯経済とテリトリー:われわれのテリトリーのための共同的かつ持続的な経済に向けた〈インフォーマルな〉経済の移行」である。1~2日目は若者、3日目は女性をテーマとしたプレ・フォーラムで、4日目からの3日間が事実上の本開催である。今回、後半の本開催のみであるが、参加することができたので紹介したい。会費は通しのみ、早割で13万1192セーファー・フラン(約2万8000円)+手数料である。但し、非OECD諸国からの参加はこの半額、現地セネガルからの参加はさらに割引ということである。
セネガルは日本から見ると地球のほぼ裏側で時差は9時間、黄熱病のワクチンが義務づけられているという国である。1960年にフランスより独立したセネガルは面積で日本の半分強、近年の人口約1700万人で合計特殊出生率4.4、平均寿命67歳、平均年収1550 米ドルという。ただ平均年収については、本大会中でも何度か述べられたように、インフォーマル経済セクターが8~9割を占めるのがセネガルという国、額面どおり簡単に比較をするのは乱暴のように現地で感じた。
往路、ロシア領上空を避けた北回りのスイス航空でチューリッヒに1泊、さらに乗り継いで丸2日、夕方に到着したセネガルのブレーズ・ジャーニュ(植民地時代のセネガルから初めてフランス国民議会の議員として選出された人物名)国際空港は、新しく立派だが、外気は暑い。出ても55kmほど離れた首都ダカールへのアクセスが明示されておらず、呼び込みの黄色いタクシーばかり目につく。ただ、連絡バス(ナヴェット)で途中まで行くと、2021年12月に開業した新しい鉄道TER)の駅に乗り継げるという情報を見ていたので、1台停留中のバスのそばの切符売りの人に尋ねると、このバスではないが、ここで待っていろ、切符を買っておけというので、3000フラン(620円)払い40分ほど待つと、黄色いくたびれたミニバスが到着し4人を乗せて発車、猛スピードで20分少々、豪華な建物のジアニアジオ駅に到着。先頭の形状が「小田急・白いロマンスカー」にも類似する4両編成の連接車の電車が待っていた。
運賃はダカール駅まで1等2500フラン、2等1500フランでここからダカール駅までは12駅で45分ほどの所要時間で10~20分おきの運行、空調は快適で揺れも少ない。システムがフランスの鉄道に類似していると明らかにわかる。19時半ごろ到着した終点のダカール駅は、帰宅の人々で大行列、自動改札は入場規制がなされているほどであった。ただ、駅を出ると全く信号のない交差点は車で混雑、空気がよくない。宿が4km離れていたので、タクシーを捕まえ運賃交渉をすると3000フラン、これが外国人向けなのかもしれないが、市内の標準価格のようだ。領収書はくれない。信号のない道路、道中大型トラックの遮る渋滞もあり、かつ運転手が正確な場所を知らないらしく、それでも時に道を尋ねて暗いなか、やっと玄関が民家風の宿に到着してくれた。1泊約4500円、部屋は広く静かで清潔、冷房もある一方、たまに停電がありシャワーのお湯は出ない。働いている女性たちは概して誠実、朝食もパンと飲み物以外、時間はかかるが毎回1品はオムレツなど暖かい食べ物が出た。
GSEF(フランス語圏ということで、多くの人はジェセフと呼称していた)の初日、既に午前から蒸し暑い気候、仮設テントの受付は人、人、人と大混乱の体である。主会場は、ダカール駅至近の立派な国立大劇場と黒人文明博物館であるが、その他幾つかの仮設テントも併設されている。開会は大劇場のなか、GSEF、ダカール市、RACTES(セネガル社会的連帯経済のためのテリトリーでの当事者集団のネットワーク)、マイクロファイナンスと社会的連帯経済省の4者による共催からの挨拶である。ただ、セネガル現大統領のマッキー・サル氏の短くない演説を含んでいる。自治体を基軸とするこれまでのGSEFとは、やや異なる印象を受けるが、これはこの国の近年のデモ騒動を含む政治対立が背景なのだろうか。翌日の地元紙にも大統領の演説が掲載されていた。ついで、若者たちによる元気で派手な社会的連帯経済を称揚する舞台も、余興としてあった。この大会場で、日本からの「社会的連帯経済を推進する会」の団体ご一行にもお会いする。その後、社会的連帯経済の国連決議に基づいたコート・ジボワール、モロッコ、カメルーン、フランス、チリ、スペインからの関係省庁の大臣クラスのパネルであった。大会の言語はフランス語が中心、ただし英語にはほぼ訳され、スペイン語と現地のウォルフ語も若干は使用されたようだ。
昼食は別の大テントの下、円卓に座るとマスク姿の女性が来て、注文を取りに来てくれる。3日間ともこの場所での昼食だったが、一皿のなか、スパイシーな米やクスクスを基調とした薄味の牛や肉、羊の骨付き肉(イスラム教系が95%という国であり、豚肉は出ない)やスズキ系の魚が乗り、野菜や豆類、マンゴーやメロンも添えられていた。果物としてリンゴやバナナも選べ、特にバナナは新鮮であった。飲み物としてミントティーも試したが、これはあまりに甘すぎた。
15時からは2つのセッションと20の分科会があった。本大会で全体としていえることだが、セネガル地元の人々による事例報告が極めて多く、どう理解したものか、なかなか難解であった。なお、会場は総じて暑く、外気はさらに30℃を超えた蒸し暑さ、現地の女性が度々救急車で搬送されるのを目にする。生ぬるいとはいえ、水サーバーが各ポイントにあるので、しきりと口にする。ときに、頭に冷やした数種類の缶のお盆を乗せた若い女性が来て、参加者に飲み物の販売(1000フラン)をしていた。なお、街の中では、各種の店舗ももちろんあるが、マンゴーの切り売りや落花生などたくさんの食べ物、靴や服などの日用品、工業器機やスマートフォンにいたるまで、さまざまな路上売りの人々も目につく。なるほど、インフォーマルな趣を感じる。また、人々は概して温和である。
大会2日目は、基調として、ボルドー、セネガル、コート・ジボワール、ソウル、モントリオールの自治体指導者によるパネル、次いで36の分科会である。この分科会の中には、日本からの報告も3つがなされた。また別途、夕方にダカール市役所で、主に次回開催についてをテーマとするGSEFの加入諸国の参集する準備委員会に、日本の代表のご厚意で同席することができた。ここで、次回のGSEF開催地がこの事務局を要するフランス・ボルドーで2025年10月の開催が承認、決定された。
最終日は、日本からの1つの報告を含む36の分科会(いま日本に留学されているセネガル人からの報告もあった)であった。そして最後に大幅に予定時間を過ぎた大劇場の中、若者と女性のプレ・フォーラムを引っ張ってきた人々に謝意が示され、その後に「ダカール宣言」が18:30過ぎ、以下のように示されて終了した。冒頭のみ、ここで示しておこう。
―GSEF2023フォーラムに出席した250以上の都市、70か国の5000人以上からなるわれわれは、世界のすべての人々が、ディーセントな労働条件のもとで尊厳ある生活をするための十分な収入を得る権利を持つこと、また、現下を支配する経済モデルが地球上の不安定さと破壊をもたらしている一方、すべての人々が住みやすい世界に自らに力を与え解放されなければならないことを断言する。
またわれわれは、社会的連帯経済(ESS)が今日、2030年までに国連の持続可能な開発目標を達成するための最も適切な社会経済モデルであると明言する。