海外報告
カナダ・ノーウェスト医療生協訪問報告
趣旨・目的
カナダのマニトバ州ウィニペグ市にあるノーウェスト医療生協(正式名称はノーウェスト・コープ・コミュニティ・ヘルス)を訪問し、日本の医療生協に学んだ健康づくり班会活動がカナダでどのように展開されているのかを調査する。
日程・訪問地
2019年3月25日~3月29日
ウィニペグ市(カナダ・マニトバ州)
報告
2019年3月末に、ノーウェスト医療生協の健康づくり班会や地域住民に提供している様々なプログラム視察のため、ウィニペグ市を訪問しました。同医療生協の班会やコミュニティ・センターで見学したプログラムの内容については『生活協同組合研究』の原稿に譲り、ここでは滞在中にウィニペグ市内で見、興味深かったことを報告します。
カナダ国立人権博物館
カナダ国立人権博物館は2014年9月に開館した同国で最新の、また首都(オタワ)地域以外の場所に初めてできた国立博物館です。人権の持つ意味について深く考え、人々の理解を増進すること、他者への尊敬を深め、人権について熟考、対話を促すことを目的に設立されました。
館内は常設展示と特別展示のスペースに分けられており、常設展示は人権に関わる言説を古代から集め(ハムラビ法典や儒教などを含む)、現代まで人権に関する考え方がどのように発展してきたかを見せるものや、カナダで現在も続く問題である先住民の人々に対する政府の政策(同化政策)の変化と2000年代に入って行われた連邦政府の公式謝罪に至るまで、動画や写真が展示されています。また、カナダ国内にとどまらず、ナチスによるホロコーストの展示や米国の奴隷制を逃れてカナダに逃げてきた黒人の人々の歴史に関する展示もありました。
特別展示はネルソン・マンデラ氏を中心とした、南アフリカ共和国の人種隔離政策(アパルトヘイト)について(Mandela: Struggle for Freedom)で、同国のアパルトヘイトの初期の様子から崩壊までを、当時黒人の人々が携帯させられた通行許可証やマンデラの抵抗運動のシンボルとなった緑色のシャツ、マンデラが獄中から家族に送った手紙などと共に展示していました。マンデラは投獄された27年間のうちの21年間、家族との交流は半年ごとに1通の手紙と1回30分の面会しか許されなかったそうで、B5判ほどの大きさの紙に小さな文字でびっしりと綴られた家族への手紙がとても印象的でした。政策としてのアパルトヘイトは1940年代から1990年代前半まで続いており、決してはるか昔の出来事ではないと改めて考えさせられました。
国勢調査によれば民族的出自の項目に対する国民の回答は250種を超え、また4割以上の国民が自身について複数の民族的出自を挙げるなど、多様なバックグラウンドを持つ人々によって構成されているカナダらしい博物館であると同時に、これはカナダに限定されない普遍的な意義を持つ博物館であると思いました。
ウィニペグ・スカイウォーク
正式にはウィニペグ・ウォークウェイ・システムというそうですが、最も長いところで2キロメートルに達する通路網で、ビルの廊下や建物同士をつなぐ回廊がウィニペグ市中心部のかなりの部分を結んでいます。そもそもカナダは寒い国で、トロントやモントリオールといった大都市には巨大な地下街がありますが、ウィニペグ市中心部はカナダ国内でも特に風の強いことで知られ、ランディ・バックマンとニール・ヤングの歌『プレイリータウン』の歌詞に、市の中心部にある通りの名前が使われているほどだそうです。
私がウィニペグ市に到着した日は日中の最高気温がマイナス2度で、外を歩いていると顔が痛いくらい寒く、人通りも少なかったのですが、スカイウォークの中は暖かで歩行者でにぎわっていました。ダウンタウンの中心部から西側へ伸びたスカイウォークを歩いたところ、道中には図書館や警察、金融機関、ビジネス等のビルがあり、カフェや売店も並んでいて、天候の悪い日でも空調の効いた屋内で快適に買い物やウォーキングを楽しむことができると分かりました。回廊はバリアフリーにもなっていて、調査で訪問したノーウェスト医療生協の看護師の方に、「(スカイウォークは)高齢者のウォーキングに最適ですね」と言うと、実際に早朝ウォーキングをしている高齢者の人たちがいるとのことでした。通路の入り口となっているビルによって若干違いはあるようですが、スカイウォークは基本的には毎日(月曜日~日曜日)朝7時から夜の12時半まで開いているそうです。
詳しい報告は『生活協同組合研究』に掲載予定です。ご期待ください!