刊行物情報

生活協同組合研究 2010年4月号 Vol.411

特集:日本農業・農村と直接支払い

 1999年制定の食料・農業・農村基本法の起草段階から,「直接支払い」(あるいは「直接所得補償」)という政策手段がたびたび注目を集めてきた。なかでも,中山間地(後述)の生産条件の不利性を補?する直接支払いはいち早く制度化された。現在,民主党政府で論議されている「戸別所得補償制度」も,一般的には「直接支払い」の枠組みに属すものである。

 EUにおいては,すでに「直接支払い」が農業・環境政策の基本的ツールとして確立しており,それだけ長い試行錯誤を経てきている。ただ,「直接支払い」と一口にいっても様々な目的・方法があり,検討しなければならない課題も多い。

 生産者に対して直接的に現金を給付する「直接支払い」政策は,農産物の生産・流通を政府が規制・統制し,価格をコントロールすることによって農業生産者の所得を間接的に保障していく「価格支持型」の政策と対照をなしている。直接支払い型の政策を本格的に導入することは,裏を返せば,農産物の生産・流通に関する統制・規制を緩和し,市場メカニズムのはたらく領域を拡大していくことを意味する。

 代わりに,市場メカニズムだけでは解決しにくい食料の確保や,農林漁業構造・農山漁村地域・自然環境等をめぐる諸問題については,別途,しかるべく財源を確保し直接的に支払いを行っていくことになる。

 この移行は,単なる政策の技術論にとどまらない意味をもつ。重要なのは,直接支払いが行われる場合,投入先の選択肢のかたちで農業・農村・環境政策の中身が可視化され,消費者・納税者の眼前にさらされる点である。直接支払い政策の導入を契機として,消費者・納税者の間で,将来の日本の食料・農業・農村・環境をどのようにつくっていくかの活発な論議が巻き起こるならば,その果実は直接支払い政策がもたらした最大の副産物になるはずである。

 今,消費者・納税者が積極的に政策論議に加わっていこうとする際の一素材とならんことを願い,本特集を読者に供する次第である。

 冒頭の中嶋康博准教授論文では,供給曲線と需要曲線を交差させる経済学の伝統的なフレームワークを用いて,価格支持政策と直接支払い政策の特徴を整理している。生産と政策を切り離すデカップリングの考え方の図解のほか,条件格差の補正,環境保全など,直接支払いをめぐる論点を日本の特質に引き付けつつ解説している。

 大泉一貫教授論文では,直接支払い政策を「財政負担型」あるいは「納税者負担型」,対して価格支持政策を「消費者負担型」と整理している。結論として,米の生産調整(減反)に代表されるような「農業縮小策」でない,新しい農業政策への転換を訴えている。民主党の政策展開についても,弱さやあいまいさを指摘し,厳しい注文を付している。

 田代洋一教授論文は,「食料自給率」と直接支払い政策との関係に着目している。直接支払い政策への移行が,そもそも農産物の生産と消費を市場メカニズムにゆだねていくことに力点をおくものである以上,食料自給率向上(自給力強化)の要請への対応にはおのずと限界があるとする。そのうえ現在は,農林予算全体が縮小していく中,直接支払い(「戸別所得補償」)政策が選挙対策により突出し,その陰で他の農林政策の予算が大幅に減っていく傾向があることを指摘している。

 荘林幹太郎教授論文では「環境」への直接支払いを取り上げている。具体的には,環境保全型の農業を営む農業生産者に対し,直接に支払いを行うEU型の農業・環境政策である。日本では,滋賀県が先駆的に環境への支払いに挑戦し,国の「農地・水・環境保全向上対策」の一部にも取り入れられた。これは農薬と化学肥料を慣行比で半減する農家の取り組みを直接支払いで支援するなど,環境保全型農業の普及のカギをにぎるものである。

 小田切徳美教授論文は,「中山間地」(「山間地」と,もう少し傾斜の緩やかな「中間地」を併せてこう呼ぶ)の条件不利性への補償として導入され,10年が経過した中山間地等直接支払い制度を概観している。本制度が「農業生産に関わる全ての農業者」を中山間地農業の担い手と位置付け,「非選別主義」ともいうべき基調をもっている点に注目する。さらに同制度を,従来対立しがちであった「格差是正」と「内発的発展促進」を両立させるものと評価している。

(林 薫平)

主な執筆者:中嶋康博,大泉一貫,荘林幹太郎,田代洋一,小田切徳美

目次

巻頭言
これからの生活設計教育(天野晴子)
特集:日本農業・農村と直接支払い
農業政策における直接支払い制度の意義と展開(中嶋康博)
日本農業と直接支払い(大泉一貫)
環境支払いの拡大とその意義 (荘林幹太郎)
日本農業の課題と直接支払い政策(田代洋一)
日本農政と中山間地域等直接支払制度──その意義と教訓──(小田切徳美)
研究と調査
生協と福祉に対する研究成果と課題(朴 姫淑)
協同の実践
ネットワークで地域とつながる生協の事業──福井県民生協──(西村一郎)
文献紹介
宮本太郎著『生活保障:排除しない社会へ』(山口浩平郎)
研究所日誌
生協総研賞・講評